about
月は
案内ではなく、気づきへ向かう旅
「月は」は〈祇園小唄〉より——月は、おぼろに東山。
月が、東山の上にかすんでいる。
句は言い切らず、そこで止まる。それこそ、わたしたちのしたいこと。語り尽くさず、あなた自身の経験のための場所を残しておく。
そして月は、仏教でもっとも古い喩えのひとつ。指月の喩——指を離れて、月があらわれる。あらゆる方法は、指にすぎない。
内なる月、大地の修行
この情景のなかで、月と東山はそれぞれに何かを指しています。月は、内なる心の本質を。東山は、その洞察を、幾百年の修行が形づくってきた土地に根づかせます。
「祇園」の名もまた、「祇樹給孤独園」——仏陀が長く法を説いた祇園精舎——に遠く連なっています。ひとつの名が、時を越えた伝承を静かに響かせています。
禅のなかの月
禅の伝統において、月は誰の内にもある、静かで明るい智慧を象徴します。
雲に覆われることも、闇に消えたかに見えることもある。それでも、人生のもっとも困難な時にさえ、月はそこにあり、音もなく輝いています。満ちても欠けても、その本質は変わりません。
京都を見下ろす東山は、南禅寺・東福寺・銀閣寺が連なる、幾百年にわたる京都禅文化の精神的な中心。「Tsukiwa」の名はさらに遡り、五祖弘忍の「東山法門」にも遠く呼応します——日本の禅を深く形づくった、修行の清流に。
自心をさす指
Tsukiwa は、やわらかな指し示しでありたいと願って生まれました。
一本の指のように。外の何ものでもなく、あなた自身の心を指す——もとより具わり、もとより満ちて、静かで安らかな心を。
マインドフルな寺院の散策、瞑想の体験、一対一の対話をとおして、歩みをゆるめ、見つめ、その澄明さにふたたびつながることへお誘いします。それは理解すべき概念ではなく、じかに体験されるべき真実です。
静けさに惹かれ、深さを求め、より澄んだあり方で生きたいと願う方へ——心より、ようこそ。
Dr. Belinda
英国ランカスター大学・宗教学博士。京都在住。
人生の意味を求め、長年にわたり僧侶として歩んだ。約千人が集う禅宗の道場で長年修行し、続く十年間は僧侶として西洋で学びと研究を重ねた。博士課程では、禅宗寺院の日常生活におけるマインドフルネスの実践を研究した。
禅とマインドフルネスの実践を基盤に、心理学や文化研究の視点を交えながら、人が自分自身の価値やアイデンティティをどう捉え、人生の意味をどう見いだすのかを探究している。
教育活動やインタビュー、執筆を通じて、さまざまな人の人生の物語と、その人ならではの世界の見方を伝えている。誠実な出会いと対話を大切にし、一人ひとりが自分への理解を深め、人生の中にすでにある美しさに気づくきっかけを届けたいと願っている。
- 研究にもとづく
- 語ることのすべてに出典があります。理論は著者と著作を明記し、典拠は原典にあたります。
- 体験を方法に
- 理解は読むものではなく、歩くもの。経行は、理論をあなたの手に渡す方法です。
- 生の変容を目指して
- 午後のひとときの安らぎではなく、持ち帰って使いつづけられる注意のありよう。
- 運営
- FOIGA
- 所在
- 京都
- 姉妹ブランド
- FOIGA Photography
旅で、人生を変えよう。
共に歩く →